芸術に関する事実や情報などの知的な教養は
by admin on 1月.29, 2010, under 趣味・日本語・音楽鑑賞
直観された芸術美によって生起する美的な感動と結び付いてこそ意味があるといえる。
つまり、芸術に関する歴史的、思想的または理論的な知識は、芸術美の享受を助けるものとして役だつものである。
このことは、芸術教育における鑑賞活動が、芸術の理論や芸術史などのような、各種の事実に基づいた科学的な考察と切り離して行われるべきだと主張されるゆえんである。
人間の直観による芸術鑑賞は、人間の精神生活を豊かにし、必然的に生きることの意味を充実させるものである。
美的判断能力の意味で理解される
by admin on 12月.20, 2009, under 趣味・日本語・音楽鑑賞
日本語での「趣味」は、ほぼ「好み」と等しく、そこから主たる二つの意味が分かれてくる。
その第一は、特定の活動に対する個人的な嗜好であり、「私の趣味は音楽鑑賞です」というような場合がこれにあたる。
第二は、客観的に好ましいと判定されるようなものを現に好む審美眼のことで、とくに「よい趣味」と形容されることが多い。
この二つの意味は西洋語では厳密に区別され、taste、got、Geschmackの3か国語の単語は第二の意味に対してだけ用いられ、第一の意味での趣味は、フランス語やドイツ語でも、英語のhobbyを用いて表すことが多い。
ここで扱うのは第二の意味、すなわち審美的規範性としての趣味概念に限られる。
それもとくに美的判断能力の意味で理解されることが、少なくとも美学のなかでは普通であるが、一般的な用語法のなかでみれば、「よい趣味の着物」というように、対象を形容することもある。
この両義性は、趣味の原語がどれも本来は「味覚」と同時に「味」を意味する単語であることと、密接な関連がある。ラテン語に始まり近代諸語のなかに広まったことわざの一つに、「味覚については議論できない」という意味のものがある。
これは食べ物に関する嗜好が個人的なものであることを語ったことばであるが、近世美学のなかで確立された趣味概念は、逆に普遍妥当な判断の能力として規定されるものであった。
この美の判定能力としての趣味という概念は、18世紀に盛んな論議をよび、確立されたもので、その始まりは、17世紀スペインの思想家B・グラシアンに求められる。
